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ほんとにばかだな

○私は本当にあたまがわるい。最近は特に悪い。娘と一緒に3歳児クラスの公文式に通ったほうが世の中のためになりそうだ。消えてしまいたい。

 

●お休み

誰に読ませるために書いていたわけでもないけれど、こんなだらしのない女の書いたものを誰が読むのでしょうか。昔駅ビルのトイレにしてあったOL の不倫日記を思い出した。私はきっと地獄に落ちる。別にいいけど。

 

◎オイミャコンの暮らしを取り上げた番組を母の家で観た。寒いの大嫌いだけど、早朝の空の色が美しくてみとれた。なまずのハンバーグがおいしそうだった。

人は人を見ている

○最近は家族で温泉に行ったり、職場の元同僚が結婚したり、いざ始まってみると仕事はやはり楽しい!と実感したり、そのような平和な感じです。毎日のお茶の時間が楽しみで仕方ない。

 

●お休み

 

◎『一瞬の雲の切れ間に』砂田麻美 がすごくよくて、苦しいくらいだった。

思っているより、人は人を見ている。

うみのまち

 特になし。

 

 

 

数日前から塩分と炭水化物を控えて、間食がわりにただ煎っただけのクルミを袋からこそこそ食べていた。昨夜も浴槽の中であたためながらマッサージをした。いつもより多めに保湿ローションを顔につけ、いつもより早く布団にもぐりこんだ。前日、というより数日前から気をつけなければあっという間に顔はむくみ、乾燥する。朝たたくパウダーが明らかにのらない。そんな年齢なのだった。ほんの数年前は違ったはずだが、過ぎてしまったものは仕方がない。失ったものたちとそれなりにやっていくしかないではないか。リネンや洗いざらしの布の風合いは若くて潤いのある肌に重ねるから似合うのだ。自分自身がガサガサしているのだから、シルクや、きちんとアイロンをかけたブラウスでなければ全体がくすんだ印象になる。淡いリップはきちんと発色する口紅に。勤めているのが女性が多い職場だから、こんな話を皆でよくしているのだった。先輩の一人に「きれいなものを見て不快になる人はいないからいくらでもきれいにしていいんだよ。美しくいることはマナーだよ。」と言われた時は頭をガツンと殴られたような気がした。努めてきれいにしている姿を見られることに恥ずかしさのようなものを感じていた時期もあった。完全に思い上がりなのだが、少し隙があって緩めていたほうがかっこいいのではないか、そんなばかなことを考えていたのだ。若かったと思う。今はそんな若さが欲しいのだが。

この数ヵ月、私は病気にかかっていた。これは恋だ。自分の力ではどうしようもないことが世の中にはたくさんある。どうしようもなくて、どこにもいけない。その場で足踏みどころか踏み台昇降をし続けるような疲労感があった。好きになっても、どこにもいけない。関係に名前をつけることがしたいのではなかった。勤務先の機械室は外側から鍵がかかっていて、中に入るとたくさんの冷却水の管と防音のための分厚い綿が壁じゅうに敷きつめられていて息苦しい。私にはなにかを選ぶ権利も力も勇気もなかった。ただ、ほんの少し空いた自分の時間を費やして、せっせと自分だけの静かな恋をしていた。熱さも、冷たさも、大きな声で伝えたいこともすべて小さな世界に閉じこめて、隠していた。私の心及びからだは機械室のように外からは見えなかった。相手がいることなのに、完全に自分だけのものだった。手の中にあるチョコレートを、ほんの少しずつ折っては口に入れ、大切に大切にただ減っていくのを見ているような。なにも失うものなどないのに、私はいつも心細かった。

その日はほんとうに空が青くて、室内にいるのがもったいなかった。古い海辺の町で待ち合わせをして、美術館の中の喫茶室に入った。窓の外から坂の多い町が見える。「ほら、あれ図書館。」茶色い建物を指差して言った。指にはコーラルピンクが塗ってある。白い指に映えるように。かわいいかわいい君の目にうつるように。「行ったことありますか?」「少し前に仕事で行ったよ。子どもたちを連れていって見学してきた。」「今の中学生くらいの子って本とか読むんですか。」「読む子は読むし、読まない子は読まない。いつの時代も一緒だよ。さとうくんは結構読むよね。」「読みます、ね。一人でいるときはだいたい寝てるか本読むか、かな。」ラジオや映画、友人の話、いつものありきたりな会話をいくつか重ねて、店員が運んできたアイスコーヒーを飲んだ。「今日は、ほんっとうに明るいなぁ」「今日はほんとうに空が青くて気持ちがいい」「うわー、あったかいなぁ、健全な気持ちになる」こんなことを何回言っただろうか。完全に目の前の若者に舞い上がっていた。ろくに目も合わせず、窓の外ばかり見ていた。眼鏡を変えたのか、相変わらずかわいい顔をしてこちらを見ている。話しながら表情がぱっと明るくなるのを見ていると、こちらまでおなかのあたりがぽかぽかと温まるようだった。車で移動しながら、行き先を尋ねられた。窓の外を眺めながら、「今日は、いい、かな。もったいないよ。外にいたい。外、歩きたいな。」「いいですよ。」古い町から古い町へと車を走らせた。寺の敷地内の苔むした庭園を小さな声で話しながら歩いた。いろいろな話をした。このまま、出口がなければいいのにな。彼とはきちんと距離を保って歩いた。境目がなくなるような日もあったけれど、お天道様の下ではきちんとしていたかった。彼は誰にでも優しくて、気がきく男の子だ。並んで歩いたらきっと手をとってくれるだろう。自然に、でもそれも私へのサービスなのだ。だから彼の近くにある方の手で革製のバッグを持った。もう一方の手も後ろに回してご機嫌に歩いた。海からの風を受けながら泣きそうになったけれど、これはきっと砂だ。「砂があ…」「今日コンタクトですもんね。大丈夫ですか」「うう…すな…トイレ…」こんなふうに私は逃げる。チャンネルを時々切り替えていないと、心がもたない。人生や生活はずっと続いていくのだし、彼は来年社会人になって遠くにいくのだろう。きっとスーツ姿もかっこいいね。素敵な恋人ができて、仕事でへとへとになったりもするのかな。時間は緩やかにつながっていて、SNS なんかもあるし、数年先もお互いのことを覚えているだろう。でも覚えていられるのなんてまっぴらごめんだ。このほんのひとときが、ずっと続かないのなら、忘れてほしい。そして私は今の私のままで、さとうくんだけが歳をとればいいじゃない。

今日の私は結構きれいだったと思う。

 

 

 

特になし

ミルクコーヒー、くず湯、清潔なタオルケット

うわーん。財団職員の採用試験に落ちた。でも過ぎたことは仕方がないから、前向きにやっていくことがとても大切。でも少しだけその職場で働く自分を想像してしまったので、切ない気持ちがないとは言えない。

 

終点のひとつ前の駅で降り階段を下ると、私の少し前にあたりを見回す背中が見えた。例年より遅く秋の空気を感じる冷えた夜だった。この背中は私を探している。誰かに待っていてもらえること、見つけてもらえることってこんなに嬉しいものだったのかな。それでも、見つかるまでの数十秒がとても照れくさく我慢が出来なかった。袖の中に冷えた手を隠し、背中をそっと突く。突く、というよりマッチで灯りを点けるように速度を緩めて触れた。火が消えないようにそーっとそーっと。「へへっ、お疲れさまです。」「おっ、こんばんは。」「ちょっと冷えるねえ」「まく?これー」首に巻いた厚みのある布を指差す。首にも巻けるが、広げるとかなりの大きさがあり、ストールとして使える。腕を通して羽織ることもできるというものだった。これは女性ものだったはず、と思い出したが、他の誰かへの特別な感情ではない。普段からクローゼットにたくさんの服を並べて、きちんと手入れをし、いい香りをさせている彼らしいなと思ったのだった。夏に会ったときはレペットを穿き、凝ったデザインのシャツを着ていた。細身だが肩幅のある身体に、とてもよく似合っていた。静かな夜の道を並んで歩く人に巻物を借りる、巻く、という一連の動作があまりにもありきたりで恥ずかしいのだった。友人なのだし、そんなやりかたで大切にされなくとも良いのだった。ただの自意識過剰なのだが。考えすぎるこんな夜には、自分からそっと離れてひとつのまなざしになることがある。歩く二人の頭を上の方からそっと眺めて、夜の空気に溶ける。「どうみても恋人同士だろ」「これからマンションでなにする気だ」私の天使は下世話で、繊細で、とてもうるさい。ただのナイーブな若者だと思っていたのに、本当はそれより少し複雑だった。心身のバランスを崩し、休職していること、実家の両親との穏やかで、難しい関係。よくあることとして名前をつけて束ねてしまえば、簡単なのかも知れない。それが出来なくて、困り果てたまま歳をとったからここにいるのだ。学生時代から、いつも保健室の先生のような立ち位置から抜け出せなかった。若者らしい心のぶつかり合い、その仲裁。堂々巡りの恋愛ばなし、その中継ぎ。熱い友情からも甘酸っぱい恋愛からも一歩離れて、いつも当事者ではなかった。まるで達観しているような顔で、友人の話を聞かなければならなかった。人の話を聞くのは好き。歳上の恋人のおかげで、経験もまあ、それなり。わからないことや理解できないことは唯一の趣味といってもいい読書に助けてもらった。決して、居心地は悪くなかった。でも、やはりただのまなざしになっている自分に気づくのだった。そのことがさみしいというよりは、別の誰かもまた、私をまなざしてくれてはいないかなぁ、というひどく甘く恥ずかしい憧れだった。もう存在することが恥ずかしい。それなのに今日も他人のために邁進する。単身者向けのマンションはいつも整然としている。小さな部屋なのにきちんと植物があって、急須で淹れた温かいお茶が出てくる。買ってきた食べ物も、ひとつひとつ凝った皿にサーブされる。絶対この人営業向いてないよなー。と心の中でつぶやく。夜の中にまた夜がきた、と感じる静かな時間がある。窓の外には川がある。遠くの灯りが裸眼の目にはぼやけて映る。シャワーを借りて清潔になった体を横にしてぼんやりしていると、彼が出てきてあれこれ片づける小さな音がする。とても眠い。いい歳をしてそれなりに緊張することもあるのだが、今日は緊張とも違っていた。疲れた体が水を吸ったスポンジのように重く、寝具のいい香りを嗅いでいたら包まれていくようだった。隣に人がいてもそれは変わらなかった。睡魔には勝てない。「お疲れさま」と言って彼も眠ってしまうようだった。このような形で眠るのははじめてではなかったし、華奢なのにちゃんと男の人の力で抱くのだなぁ、ふーん。という夜もあった。でも今日はこのままで良かった。気づくと、掛け布団の上から一定のリズムで背中をとんとんとんとしている手があった。「あ、あは、どーもスミマセン」と往年の落語家のように呂律の回らない声をかけた。「いいよーおやすみ」私は間抜けだけど、ここは居心地が良い。こういう異性の友人がいるのって幸せだと思った。そしていい香りの夜にも覚えがあった。幼い頃の母が夜勤の日。いつもは大嫌いな祖母が一緒に寝てくれる和室は、白粉とお風呂のとてもいい匂いがしたこと。古びた真四角の傘の中にある蛍光灯、その中心にあるオレンジ色の常夜灯を見つめるとほっとしてよく眠れたこと。祖父が宿題を見てくれて、いつも「おめえは頭がいい」とただただほめてくれたこと。いつもは大嫌いな祖母が、鯖を食べるときに「鯖の骨は太いから気をつけらいよー」と必ず言っていたこと。言わない日はないのだった。どんなにひどい喧嘩をしても、どんなに忙しくしていても必ずそれを私に言うのだ。私が大人ぶって話を聞いていたあの頃の少女たちは。それぞれの胸に答えも意思もちゃんとあって、私の役割のように話してくれていたのかも知れない。本当に不器用で幼いのは私で、それをみんなちゃんと知っていてくれた。不思議と恥ずかしさはなく、なーんだ、ちゃんと見てくれてくれてる人いたんだ、と図々しい天使が言う。鯖の骨には今も気をつけています。

 

◎同じ町のとあるバンド(kika )をとても好きになった。子どもが夢中でシール集めをするような切実さで、好きだ。

ただみているだけの話

ここに一匹の獣の姿が見えます。彼は(彼女かもしれない)痩せ細って、ただうろうろと自分が走ってきた道を振り返り、遠くて暗い場所に目をやっています。「ああ、こわかったなぁ。でも、もう大丈夫だ。」このコヨーテが火を盗んだから、人間はさむい冬でも凍えずにすんでいるのです。コヨーテは肉を食べる動物ですが、他のどの仲間よりも臆病でした。この痩せた臆病者のコヨーテはもうすぐ別の動物に火を渡します。その動物がまた別の動物に火を。そして、また…。日本にも、狡猾なキツネやタヌキのおはなしがたくさんありますが、もしかすると、このコヨーテのようにおどおどして優しい一匹がなにかをしでかしたのかもしれませんね。これはアメリカという国にフランスから人がたくさん来る前のお話でした。おしまい。

 

 

 

ごぜは男ができたり、夜這いによって身籠ると仲間とは一緒に旅はできない。年頃になると膝を帯で縛ってから眠ったり、年長者が戸口に近いほうに寝たりした。食事についてはひもじくてかなしいので、あまり話したくない。温いめしに香の物、芋がらの味噌汁なんかは本当に大ご馳走だったのだ。つらい稽古で口の中が鉄の味。三味線をひくささくれだった指と、声と喉が身をたてる唯一の道具。雪の中を歩く歩く歩く。油紙と手拭いとでくるんだ足先もあっという間に冷えて感覚のないつぶてのようになる。体が温まると、本当の声が出ないと言われ、足袋も履かせてもらえないこともあった。何年かして、まともな食事と温かい体を得られると、声がたくさん出たのに。盲と目開きの旅は一列で、細い紐を頼りに進む。冬になるまで必死に働いた農民たちが気のとおくなるような雪の中、待ちわびている。真冬の福島から新潟へと抜ける旅だったと思う。中には仲間と折り合いが悪くなり、離れるごぜもいた。そのまま旅篭に流れるか、行方知れずになることもあった。生まれつき、または幼い時分に見えなくなった彼女らは、自分の居場所を芸に求めた。求めたというよりはそうするよりほかはなかった。漂いながら、この世を唄うごぜは、本当になにも見えていなかったのだろうか。凍えるような雪の道をひとあしひとあし進みながら、見えない目をきつく閉じる。そしてそっと、貧しい農民たちの新しい年を寿ぐ自分の姿を想像する。今にも泣きそうな顔で笑う農民を想像する。痛みすら感じる辛い道のりのなかで、この一瞬に小さな胸の奥の奥の奥のほうが少しだけ温もる。そしてまた、灯りが消える。終り。

 

 

「分納できるって。良かったね。」「あ、はあ、良かった、のかな。ありがとうございます。いろいろと、本当に助かりました。」大学のことで心配していることといえば学費のことだけだった。大学に入ってまで人間関係に翻弄される気はないし、サークルもジャズ研以外は高校の延長のようでつまらなそうだった。その日は午後の講義のあと学生課によって学費について相談した。ゼミの担当教員がそんなところまでついてくるのはおかしいが、この人は恋人みたいなものなのだから、好きなようにさせておけばいい。去年、大きな天災があった。両親は一時期、家と職場を失った。僅かな貯金や義援金、保険なんかで、なんとか日々の暮らしをつないだ。私はといえば、実家から小一時間離れた町のアパートに暮らしていたのが幸いして、生活に大きな変化はなかった。表向きはそうだった。地方の私大で4年間学んだところで、人は大人になるだろうか。入学したときに買った韓国製の安い洗濯機の中をぼんやり見つめながら、あ、これ、まるでわたしだなあ。と思った。使いはじめてもう3年が経つので、すすぎから脱水の流れがうまくいかない。気づくと三回も四回もすすぎをしている。渦の中で力なく布が回されている。すっかりきれいなのに、何度も何度もまわされて、傷むのが早い。これはわたしだ。だいぶ、疲れていた。機械も、わたしも。下に二人の妹がおり、震災後は正直、私の学費なんて賄えるわけがなかった。だが、親はやはり親で、娘に心配かけまいと昼の仕事の他に夜も飲食店でバイトをしているようだった。ある月命日に帰省したときにもう若くない両親の白髪の多さに気づいた。母とわりと丸顔で若く見えるかわいらしいところがあったはずなのに、だいぶ頬が落ちていた。実家にいたときには素直さのない娘だったが、帰りのバスで思わず泣いた。数日考えていたことを心の中で整理し、決めたのだった。とても強くなったような気でいた。

午後の講義を終えたら、急いで2Kのアパートに帰り、シャワーを浴びてお米を研ぐ。唐揚げもサラダも作っておいた。帰ってきたとき寂しくないように小さな灯りのつくアロマディフューザーをセットする。いつもラベンダーか、オレンジだった。この際電気代のことは目をつむることにした。自分が折れたら続かない。だから、この部屋の中では快適に、自分を甘やかすと決めていた。地味な服を着て、眼鏡をかけて、家を出た。飲食店の建ち並ぶ界隈を抜けると、小さな雑居ビルがあり、階段を登る。横に引く戸を開けると、底のある靴がたくさん並んでいる。廊下を進むと横に和室が二部屋並んでいる。それぞれの部屋にソファと、テーブルと、バッグを入れる棚。挨拶をすると女性はだるそうに起き上がりながらも「おはよう、おつかれさま」という返事が返ってくる。廊下を進み、さらに小さく、美容室のブースのように分けられた席に腰かける。ここにくる道すがら飴を2袋買ってきたので、和室の机に置く。「あーごちそうさまね、ありがとう。ほら、この子だよ飴くれたのー」「あ、ほんとに?ごちそうさま。ありがとうねえ。外大丈夫だった?雨に当たらなかった?」「アッハイだいじょうぶです…」いつもこうだ。たったこれだけの飴で、丁寧に話しかけてくる。ディズニーシーがどうとか、おにぎらずの具に刻んだニンジンのナムル入れてみたとか、普通なのだ。部屋はいつもきれいで、ちりひとつない。お手洗いすら誰も使っていないかのようにきれいなのだ。たぶん、ここにはきれいな人しかいない。傘も靴も山のようにあるのに。給湯室に灰皿があるのに。風俗情報誌もハチミツのボトルに入った光る液体も、ありとあらゆる世の中のしがらみがあるのに。ここにいる人たちはやさしい大人だ。人を悪く言わない。演技なのかもしれないが、家族や親戚のようなよそよそしいやさしさで必死にこの部屋を維持している。小さなブースの中で身支度を整え、文庫本を読む。毎度のことながら緊張して文字が頭に入らない。しばらくすると電話が鳴り、牧場の動物のようにのそのそと外へ出ていく。怖い思いはしたことがない。普通の人が普通の私たちを呼んでくれるから、いびつではあるけれど汚い仕事だなんて思えなくなった。仕事で疲れている人も、復興関連で遠くの町からきた人も、みんな同じように、大変な思いでつくったお金をくれる。この部屋の女の人たちはやさしくてやさしくて、いい匂いがする。「おかえりー」と顔だけこちらを向いて笑いかけてくれる。いつもこうなのだ、ほんとに。そしてそのたびに私は泣きそうになる。仕事が辛いとか、そんなことはどうでもいい。なんで、みなさんはここにいるんですか?そんなにきれいな顔をして、清潔で、やさしくて。好きな人はいるんですか?稼いだお金、まさか悪い人にとられてるんじゃないですよね?ディズニーシーは楽しかったですか?その付録のバッグ、私も持ってます、付録にみえないよね。かわいいよね。そんな風に心の中で話しかけて、また、小さな休憩室に戻る。高校生の頃に古典で習ったことをひとつだけ思い出して、ぼんやり時計を見つめた。「あと10分、入るな入るな入るな入るな入るな入るな」【清ら】というのは【美しい】の最上級の言い表し方です。「あと5分、入るな~頼む~帰りたい~」ここにいる人たちはたぶん宇宙で一番きれいなんだよな。おわり。

 

一人でなんでもできる、ということ

○毎日食べ過ぎてしまって、体が重い。

 

お休み中。

 

私は一人でいるのが好きだ。友人も少ない。家族とも長い時間一緒にいられない。どこにでも一人で出かけていく。人間は好きで、いつも興味がある。顔見知り程度でも、目の前でその人になにかあったらすぐ体が動くと思う。頭より先に体を動かす、助ける。これだけは母や、祖父母から学んだことだ。だけど、自分からは相談したり、愚痴はあまり言いたくない。話すだけで楽になるよね~みたいなことってたしかにある。あるのだけれど、私は苦しくなる。頑固なところもあるから、アドバイスや経験談を聞くのが苦痛だったりする。だからブログとかツイッターがちょうどいいのかもしれない。1対1よりも開かれた場所で、遠くの人の声が聞ける。話したかったら、話しっぱなし。『その島の人は人の話を聞かない 精神科医、自殺希少地域を行く』森川すいめい/著  を読んだ。ある地域に伝わる言葉「病、市に出す」まさにこれだな、と思う。統合失調症精神障害の人はモノローグの世界に入り込んでしまいがちらしい。それを予防しつつ治すための方法が、「オープンダイアローグ」。ただ対話するだけ、を毎日繰り返す。それだけ。やっぱり、人は一人でなんでもできるわけではない。わたしもゴリラのように群れに愛着をもちたい。

自覚が全然ない

子どもが産まれてからしばらくはホルモンの言う通りにしていれば良いというか、心も体もきちんとお母さんだった。2歳のお誕生日付近まではおっぱいをあげていたし、どんなに泣いてもわがまま言われてもかわいくていとおしくて。最近はというと、その魔法が切れかかっていておそろしい。もちろん大切だと思っているけど。正直、一人でいられる時間がなにより楽しくて、このままどこか遠くに走って逃げようかなと思ってしまう。私が子どもならこんな親嫌だ。唯一の救いは娘の父親つまり夫がまともな人であること。子どもが自立して、私が歳をとったら、どうかどこかの山にでも棄ててほしい。本当にそう思う。眠る前にマーガレット・ワイズ・ブラウンの絵本を読んでやる。絵本を読むくらいしか子どもにしてやれることがない。

 

14日に一次試験の結果発表があるから、それまでお休みする。

 

驚くほどに書くもののコンセプトが似ているブログを教えてもらった。本当に驚いた。あんなに上手に書けないけれど、細く長く続けていきたいなぁ。国内で霊長類を研究している数人の本を読んでいる。かなり面白い。群れに愛着をもたないのは猿らしいが、私もきっとそのタイプだ。