ゴリラが好きになりました

○今日は仕事のあと、同じビルの中にある整体に行った。肩肘張らず、話せる数少ない同年代の友人。私の肩や首はすぐ硬くなってしまう。なぜだろう。神経質なほうでもないし、冷え性でもないのに。悩みも、そんなにない。最近フルーツヨーグルトにはまっていて、夜にたくさん食べる。幸せだ。今日は仕事中に男性の利用者から「あの、手が荒れているように見えたんですが、それはやっぱり本のせいですか?本に触るから?」と聞かれた。すごく恥ずかしくて悲しくて、体質と、確かに水分がとられる気もします、お恥ずかしい限りです、と言ったけれど。不快な思いをさせてしまった。ちゃんと病院にいこう。

 

 

 

新しく開通した地下鉄は、いつも閑散としている。自宅から職場のある町まで地下鉄で約10分、そこから歩いて7分がいつもの通勤コースだ。隣の県から短大進学を機にこの町で暮らすようになった。もともと人づきあいが億劫なほうで、数ヵ月に1度会うか会わないかという友人が二人。しかもそのうちの一人は子育て中で、忙しいようだ。その他に会える人といえば、恋人だろうか。いわゆる婚活パーティで知り合って、あっという間に付き合うことになった。来年の春で2年になる。物静かだが、思ったより行動力があることも次第にわかってきた。私の実家にも何度か顔を出し、父や叔父の酒の席に付き合ってくれたことがささやかだがとても嬉しかった。私はこれといった趣味をもっていない。邦楽のオムニバスアルバムをたまにレンタルしてくる。歌詞がかわいくていいなと思う。映画はテレビで放送されるもので充分。洋服は量販店で季節にあったものをもとめるくらいだ。友人や恋人には信じられない、損しているよなどと言われる。でも、こだわりとか、何かを好きになることってそんなに義務のようなものだろうか。私は聞きやすいありふれた音楽が好きだし、洋服も色褪せたものや傷みのないものを身につけているのが気持ちいい。個性的と言われるより、ありふれたものでいいから、調和のとれたものを優先したい。

ある時、突然恋人から銀行でもらうカレンダーの話をされた。「毎年、会社に届くんだよ。ああいうの。」週末はいつもどちらかのマンションで過ごす。私は酢豚に入れる野菜を素揚げしていたので、高い油の音で少しだけ聞き取りにくかった。きりのいいところで、先ほどのカレンダーの話を訊ねる。「さっきカレンダーの話してたね。わたし来年はちひろのカレンダー使いたいんだ。」「そうそう、年末に銀行とか業者が持ってきてくれるんだよ。君ってあれみたいだよな。」「んー?カレンダー?わたしだれかに似てるかな?はじめて言われたよ。」「いや、風景とか、花とかそういうやつね。見ても覚えたりはしないんだけど、控え目できれいなやつさ。」「なんでしょうねえ、それはー」「悪い意味じゃないよ。そういうところがいいと思ってるんだから。」「はあーん?さいですか。ありがとありがと。もうすぐできるよ!もずくもあるわよ。どっちも酸っぱくなっちゃうけど。」「いただくわー。疲れてるからちょうどいいよ。お酢、大好きだ、おれはっ。」「あはは。ちょっと待ってね。」私たちは仲がいいし、穏やかな付き合いをしてきたと思う。お互い田舎の長男と長女で責任感が強いところや、友人が少ないところも似ている。打ち解けるまでの時間は必要だが、細く長く付き合っていける。何より、お互いがはじめての恋人だったのだ。言葉にこそ出さないが、大切な人だ。

彼は私にはあまり理解できないような趣味をもっていた。楽しげにやっているようだし、その旅に同行すると、温泉に入れたりおいしいものを一緒にとったりもできる。でも、ほんの少しだけ、こわいというか、なぜ?と思うことがあるのだ。日本各地の町を歩くというものなのだが、どういうところを歩くのか、もし親兄弟に聞かれたら、うーん、ちょっとだけ憚られる。いわゆる遊廓跡や赤線跡というものなのだけど。はじめは昭和レトロとかそういうものかなと思った。でも、わからないなりに聞いていると、色街の歴史や、街の特徴、建築や装飾の面白さなど、見るべきところがたくさんあるらしい。それは納得できた。だが、女の人と付き合うのは私がはじめてのはずなのに、なぜそういう場所に興味をもったのか。それから、今も現役で、なんというか、その、機能している宿を利用することもあるのだろうか…と想像してしまうのだった。嫉妬とも少し違う。なぜだろう?と本当にわからないのだった。彼の好きなものを否定したくはないので、冗談半分に訊ねたこともあった。答えは「面白いから。」「理屈じゃないんだな…」「おでん食べに行こうぜ」というものだった。恋人だからといってすべてを理解することなどできないのはわかっているつもりだ。だからお風呂のあと、小さな軽自動車の掃除をして、週末の小旅行が楽しいものになればいいなと気分を落ち着かせた。クーラーボックスと飲み物の準備もしてある。お米を研いでから、布団に入った。寝る前に、彼が「僕ら、わかりあえないことだけをわかりあう、って歌があってさ、」というようなことを言っていたのを思い出す。小沢征爾の甥も音楽をやっているらしく、その人の歌だそうだ。聞いたことはなかった。

朝はいつも早めに起きることにしている。実家で生活していたときは、曾祖父と曾祖母を筆頭に大所帯だった。みな優しかったが、子どもながらに親に遠慮することもあったのかも知れない。身支度を整えたら、妹たちの弁当用の卵焼きを焼いておいたり、靴を磨いたり、ひとつ多く気を利かせるようにしていた。その癖で、朝は得意だった。いつも始業時間の45分前には着くようにしていた。臆病なのだろうが、なにかあったときのために、といつも先回りしていた。午前のルーティンを終え、もうすぐお昼だなとスマートフォンの時計に目をやると、珍しくショートメールが届いていた。お弁当の包みをもって、外へ出る。短大時代の友人だった。子育て中でなかなか忙しくしているようだが、時間さえ合えば会いたいと思える友人だった。色白で、童顔の彼女は、知り合った10年前とほとんど変わっていない。よく読んでみると、「今夜泊めてほしい。」「娘は実家に預けています」「パジャマとか持っていけないごめんなさい」そんな内容だった。週末に向けて部屋はいつも片付けているし、寝具も多めにある。ジャージもある。冷凍のさぬきうどんもあったはずだから、帰りに天ぷらだけ買って帰ればいいか。彼女の好きなお芋のお菓子とお茶で、今夜は女同士ゆっくり話そう。そんなことを考えながら、お弁当を食べた。

夕方、待ち合わせ場所に現れた彼女を見て、私の「なにかあったときのために」スイッチが入ったような気がした。変わらずかわいい顔立ちの彼女の目はひどく充血して、片方だけが涙目のようだった。それもアレルギーや痒みを伴うものではないようだった。ぶつけたか、誰かに殴られたか。ファンデーションで隠してあるが、頬の形も少しおかしい。「いきなりごめんね。」「いやいや、お菓子と天ぷら買って帰ろう。」二人で地下鉄に乗り込んだ。

彼女と布団を並べて天井を見ながら色んな話をした。短大の先生の面白かった話。芋煮会の話。旦那さんから殴られるようになった話。旦那さんは他に女の人がいるのに、その人とうまくいかないと彼女にあたる。なんて話だろう。最近の不安定な様子がすごくこわい。二人とも殺されてしまうのではないかと子どもだけ安全な実家に預けたそうだ。市内には緊急の母子シェルターや相談窓口もある。駅前のビルの28階。そこに向かおうとした彼女は1階の大型書店で待ち伏せされて、目を殴られた。周りの人が止めてくれたが、恐ろしさに帰るに帰れず、私にメールを送った。手続きは私がやることにして、まずは準備ができる数日、安心して過ごせる場所を確保すべきだろう。彼女が眠ったあと、彼に電話をした。木曜の夜。明日は「いわゆるHANAKIN 」と言っていつも二人盛り上がる日だ。仕事終わりに落ち合って、温泉街へ行く予定だった。彼が電話口で真面目に話すので、耳が痛くなるほどスマートフォンをくっつけて聞いた。

金曜日は何をしたか覚えていないほどの速度で仕事を片づけた。夕方、実家から小さな娘ちゃんを連れて戻ってきた彼女を車に乗せて、彼と私と友人とおちびで出かけた。なんでわざわざそんなところ?と電話口で言ってしまったが、「結構面白いと思うよ。風呂も大きいし。」という彼の言葉を信じることにした。その町は彼のルーツであり、しかも遊廓探訪の穴場でもあるらしい。私たちの町から車で1時間。今は若い祖父母しか住んでいない家だ。実家の実家、みたいなことを言っていた。今は退いたが、田舎の工務店を経営していた祖父母の家は和洋折衷だった。居間には立派な欄干があり、台所はドイツ製。中庭らしきもの、お風呂は確かに大きいがまるでラブホテルのようだ。庭も田舎ならではの広さだった。大きな家だが、正直趣味が悪いと思った。彼のおばあさんが話をしてくれた。「バブルのときのものだからめちゃくちゃに見えるけど、こいづはお客さんが見に来て選ぶための、展示場のかわり。田舎だし、今みでにインターネットとかながったがらさ。和室に床とってあっからいづでも寝らいよ。」その言葉を聞いて納得ができた。広い廊下の先に、椎茸を栽培している木があった。大人の顔ほどの立派な椎茸。「これね、木にちゅうしゃすんだよお」と自分の腕に注射する真似をしている様子がおかしくてたまらない。友人も娘ちゃんも喜んでいる。大きな椎茸は贅沢にバターで焼いてステーキにしてもらった。すごくおいしい。食事をとっていると、隣近所(といっても車でなければ遠い)の人たちがお刺身やお肉、牛乳寒天に色んなくだものを流したものなどを次々に持ってきた。食べきれないほどのお夕飯を食べたあと、順番に入浴した。おちびと彼が寝たあとに居間で女同士の話し合いが開かれた。これからどうしていくのか、という話よりも、町とおばあさんの歴史を聞く会になった。「ここはもともと源氏蛍と隠れキリシタンの町なんだよ。だからなんぼでも隠れでいられる。」「おらは結構あだまいがったんだ。でも家が貧乏だから16歳から米川のカトリック保育園の先生やったの。」「おじいさんはずっと外さおんないだ。アパート借りて囲ってだ。しかだないから仕事がんばったよ。すごく楽しかった。孫たちも産まれたし。おじいさんにもぴーちゃんたちにも叩かれたよ。いっぱい。昔は女の立場弱かったから。」「うん、登米にも妓楼あったね、たしかに。」「大丈夫だから。いづでも助けでけっから。」最後のほうはなんだか眠くて、みんな何を話したか覚えていない。でも、この家でこの夜を明かすのと、いつもの町の小さなアパートで眠るのはだいぶ大きな隔たりがあるような気がした。なんだか怪しい、変態なのかも、と思っていた彼のことは本当に大好きになってしまうような気がした。友人についてはまだ心配が残るが、おちびの朗らかで、やさしくて、わけへだてないところを見ていると彼女がどんな育て方をしているかがわかる。

朝、歯みがきしている彼が聴いていた曲が(しかもテープで!)「天使たちのシーン」「頼りない天使」「時間を名乗る天使」だという。「天使すきだね、おにいさん。」と後ろから話しかけると、「ばあさん平気で嘘つくから気をつけたほうがいいよ。」というので、息が出来なくなるほど笑いころげた。

明日はみんなで鳴子に行こうぜ、ということになっている。

 

 

◎ヒトはニホンザルよりもゴリラに近いそう。ゴリラは争いを避けるためにドラミングをする。ニホンザルは自分の群れに愛着をもたない。ゴリラの子どもは1時間以上遊び続けるけど、ニホンザルの子どもは10分しかもたない。遊びの条件は、ケンカをしないこと、工夫をすること。

『きょうりゅうがすわっていた』という絵本を読んだ

実母が自転車を買ったらしく、乗るときと降りるときが怖いというメールがきた。そういうところはかわいいと思う。

 

 

 

 

 

「全壊じゃなくて、流出ですね。大変でした(笑)」そんな風に彼は笑いながら流された自分の家の話をしたのだった。海辺の町から小一時間。安定した人気の大学へ通う彼は3人兄妹の長男坊だという。まだたったの22歳なのだった。集まりがあれば必ず幹事を任された。早々に就活も終え、毎日の実験でも、趣味のサークルも、夜にしているバイト先でも、彼を愛さない人はいないくらいだった。あまりに感じがよく、しかもそれがとても自然で、誰かのためというよりは赤ん坊のころからそうなんですという印象だった。威勢のよい人間が多い田舎の町では、彼の柔らかさはより輝く。少しでも関わったことのある女の子たちはみな勘違いをした。自分は特別。大切にされてしかるべき女の子。ちょっとした縁で酒席を共にした一人の女の子は、どうにでもなればいいのにと思った。自分に恋人がいることも、明日の講義も友人からの短いメッセージもどうでもいい。それより、今すぐに目の前の清潔なさとうくんに触れたいと思った。どんなにさとうくんが真面目な子でも、隙だらけの女の子がいたら帰すわけはない。だってまだたったの22歳で、ここは自分から触れなければ女の子が傷つくのがわかっているから、そりゃもう真摯に、彼の夜の課題に取り組んだ。彼はまず、まぶたにキスをしたそうだ。そのときの話をなぜか私が聞いていて、「そういえばご実家どこだっけ?あ、そうか。じゃあ大変だったでしょう。」そして流出の話になったのだった。津波というものの怖さは説明なんていらないくらいだ。それにあった場所、時間、近道を知っていた人、運、せっかくだから食料品を買ってから逃げようとした人、知人を送り届けたあとに逃げ遅れた人、そのあとに続く数分間、それから今に至るまでの5年の歳月。慟哭、静かな時間、なにも考えられない時間。身近な人を憎んだり、呪ったり。なにひとつ忘れられず、でも毎日が手続きの連続で、「いろいろ大変だったけど、私たちは前向きに暮らしています。」そういう顔をして表向きは暮らさなければならなかった。

さとうくんの話に戻る。さとうくんにはじめて会ったのは新しくできた図書館だ。とてもきれいだが量産型でつまらない。そんな図書館だった。運営するC社と自治体の長との癒着や、資料の扱いを問題視する声も少なくない。町おこしと言えば聞こえは良いが、町の歴史を保存するアーカイブとしての機能より、わかりやすい華やかさをこの国のいくつかの町は選んだのだ。そんなことを考えながら、退屈ながらも少し歩き回ったのち、併設されているシアトル系コーヒー店で休もうとした。ひとり掛けのブースで読書する女性、ダイニングテーブルのような木製の机で仕事をする男性、布貼りの椅子に向かい合い、会話を楽しむ若い男女。賑やかな雰囲気と、明るさに少しだけ居心地の悪さを感じて、なるべく隅の席を確保した。ハンカチと財布だけを持って、温かいブラックティーにしようと注文をとる店員に話しかける。聞くとラベンダーの香りやらローズヒップやらお茶だけでも数種類あるようで、我ながら短気だと思うが少し苛立った。普通の大きさの、普通の紅茶はないのだろうか。自分のこういうところがさみしいと思う。たくさんはいらない。食べ物に対してもそうで、一度口に合うと思うとそればかりを食べ続けたりする。友人もそうかもしれない。たくさんはいらない。君さえわかっていればいい。そう思える人と付き合いたいし、わかってもらえなくても平気なくらい歳をとったのかもしれない。結局のところ自分だけが自分を楽しませることができる。外側からの刺激で傷つこうと、見えない悪事をはたらこうと、それを誰も見ていてはくれない。いつも自分だけが見ていること。隅の席から周りに目をやると黒の細身のパンツとダンガリーシャツの若者が入ってくるのが見えた。あらゆる生物の中で、人間だけが持っているとされる能力がある。それは、他者の目にうつる自らの姿を想像することだ。胸の中でどんなことを考えようと、社会的な動物であることにはかわりない。一人で熱いお茶(結局スパイス入りの甘いものにした。)を飲みながら、その若い人を眺めていた。見ていないようにして、そっと。紙カップを受け取り席を探す彼と目が合いそうになったので、あえて目をそらさずに彼の後ろにある窓の外を見たままでいた。自意識過剰だとは思うが、"私は決してあなたを見てはいませんよ。天気がいいから外を見ているのです。外の親子連れを見ているとなんだか平和そのもので心が和みますね。"と、そこまで顔で語ったつもりでお茶を飲んだ。近くまで来ると、黒いふちの眼鏡の奥に滑らかな肌が見える。やはり若いのだろう。椅子ひとつだけ空けて隣に腰掛ける。また、視線と気配を消した塊になる。熱いお茶がおいしい。近所の紀伊國屋で買った現代短歌の本を捲る。「あー、」と隣から聞こえてきたので、そっと目をやる。「それは、あれですよね、あ、いきなりすびばせん、短歌の、若い人のやつを集めた、やつ、ですよね、ですか?違うかな、ほむらさん以降ってやつ、」「あ、はあ。はい、それです。それですよ。」鼻がつまっているのだろうが、話し方がかわいい。読んでいる本に気付かれたことにも正直驚いたけれど、図書館を利用する人なのだからなにも不思議なことはない。努めて笑顔をつくった。気配を消していたけれど、初めて会った人と話すのは嫌いじゃない。「あなたは?あなたは何を読まれてるんですか?」自分の声の温度が少し上がったのがわかった。私はいい歳をして、嬉しかったのだ。そのあとは何人かの作家のことを話したりしただろうか。「風邪ですか?」「アレルギー体質で、鼻、よわくて、」仕草や言葉づかいですぐに好感をもたれる男の子だと思った。明るいのに、折り目正しい。話したあとに余韻を残すような話し方も、話し終えたあとに目を合わせて確認するようなところも、不思議と媚を感じない。魅力的だと思った。そのあとは、本当に安い展開だった。いい歳をして、本の話をするのを装ってトークアプリのID を聞き出し、数回お茶をした。音楽の好みも不思議と合った。「わたし岡村ちゃん歌うよー」なんて無邪気なふりをして行ったカラオケ。その会計の時に伝票を奪うふりをしてわざとらしく手首を掴まれた。目の奥は笑っていないのに口元がかわいい。ああ、そういうことでよろしいんですね。箍が外れたのかもしれない。場所を変え、ただの一対の動物になって、恋でも友情でもないことをしている。同じことをしていても遊びという言葉は使えないタイプの二人だろうから、これはなんだろう。状況を見つめるまなざしが二人分。といったところだろうか。震災の話も「えへへ、あのね、」とかわいく笑いながらする彼だった。あの日、高校からの帰り道、友人とともに友人の母が運転する軽自動車で自分だけが避難先まで送り届けてもらったこと。そのあと自宅へ戻った二人は津波にあってしまったこと。身の上話をする顔ではなかった。相変わらず、「鼻、よわくてー、」の余韻を残す顔だった。人がいなくなったという話なのに、似たような話をたくさん聞いてしまったから私自身鈍感になっていた。目の前の人に自分がどのようにうつるか、そればかり考えて、会話をした。"わかっているよ。悲しいことも全部。大変だったよね。でもどうしようもないことって世の中にはたくさんあるんだよね。でも悲しいよね。"ずっと黙ったまま、ここまでを眉だけを下げた笑顔で語り、パイン飴をあげた。小さな袋を長い指でちぎって、かわいい口の中へ押し込む彼の顔を見て、つい口の端が下がる。〈ーー津波時浸水位ここまでーー〉の標識が真っ青で、陽の光が反射している。震える口元に、笑えなくなる。また心の中だけで語る。"食事も摂れるようになって、今は落ち着いた新しい家で寝起きしている君を、私は好きでも嫌いでもない。(少し好きかも)でもね、わかることがいくつかあるんだよ、さとうくん。みんな、あなたのことを、「君さえわかってくれたらいい」と思って、それを口に出すことすら※いだましくて、暮らしているよ。あなたが今日も朗らかに笑っているのを祈る人間が、あそこにもたくさんいるよ。それだけは、本当なんだよ。"これはいつもの顔のまま。服を脱いで、なるべくきれいに小さく畳んだ。遠いみ空のひとたちに見られても恥ずかしくないようにだ。

 

 

※いだましい(もったいような、さみしいような気持ちの時に使う)

今日もなにか書く

とある地方都市で働いているのだけど、給料が低いので転職を考えています。長く細く働けるところを捜したい。できることは少ないのですが。今日は職場なのに自宅にいるような気分になってしまいました。人間関係もよく気楽なところが心地よいです。でも環境を変えるつもりです。

 

 

終点のひとつ前の駅で降りる。無理をしていつもより硬い靴を履いているのでかかとが苦しい。この町に数日前、台風が接近したのだった。川を濁らせて草や木やなにかの袋が浮かんでいる。夜に水の濃い匂いだけがしている。この町は数十年前は違う市だった。大きな市に吸収され、田んぼばかりの町が大きな都市になった。このまま進むと山を削り造成した高級住宅地があり、それをさらに越えると工業地帯がある。肥やしの匂いもサラリーマンの自死も隠されて、人が暮らしている。地方の議員や電力会社のお偉いさんが多く住むそうだが、震災後いち早く電気が戻ったのがこの町だと聞いたときは小さく納得したのと、なんとも言えない嫌な気分になった。暗い橋を渡り、単身者用のマンションに入る。

週に一度習い事をするということにしていて、夕飯の支度と風呂の準備を整えたら外へ出るのだった。明るい習い事だから少しだけきれいな服を着て、化粧を直す。習い事をしているはずの駅では降りない。暗い夜の川を見に行くのだ。その人はいつも黒く光る犬のような目をしている。たくさんの愛情を受けて育ち、きれいな言葉で話すのに。部屋は整然としていて、作家ものの器やアートイベントのフライヤーが少しだけ壁に貼ってある。よくいる繊細な若い男だと思うが、台風がくる一月ほど前のことが忘れられず、つい、この駅で降りてしまうのだった。その日はペルセウス座流星群がピークだと報道された日の翌日だった。つまり普通の日。コーヒーを買い、車で一番近い山に登った。ドキュメンタリー映画の話や、電車で東北をまわった学生時代の話なんかをしたような気がする。子どものころに夜間ハイクをした日の胸が弾むような気分と、この時間も別の場所で流れる時間への後ろ暗さのせいで眠れそうもなかった。星はとてもきれいだったけれど、話に夢中になっていたらいつのまにか雲が隠した。子どものころから、大切なものは増えていくのではなく、奪われたり、いつの間にか減っていくものだとわかっていた。手の中の大切なものはなくなるから、嬉しいことややりきれないくらいに悲しいことがあると胸に手を当てて、記録させた。夜の時間が奪われて、翌日の仕事のことなどを考えはじめたくらいに車に乗り込み、冷えた足や手を擦った。ひとつひとつ間違いがないよう確認する話し方だなと思った。帰りの地下鉄はもうなく、遠足のしおりのように当たり前の顔をして、小さな部屋で寝ながらしりとりをした。大人だからしりとりだけですむはずはないのだが、山で自分が話したことを思い出していた。田舎の中学生だった私の夜のことなどを。母が夜勤でいない日は、海に行った。冬の海はきれいだ。遠くに船の灯りがあって、飲み込まれそうなくらい深い海の音。一緒に行ってくれたのは違うクラスの男子生徒だった。なんの取り決めもしていないが、学校では話さない。二人でいても触れあったりしない。好きだとも甘い言葉も交わさない。ただ、PHS の短文メールで連絡を取り合う。近所のコンビニエンスストアで飲み物と肉まんを購入して落ち合う。国道沿いを歩いて、海に出る。少しだけ海をみて、お互いの家に帰る。そんな関わりもいつの間にかなくなるから不思議だ。友人でも恋人でもない。不思議ですね、うん、不思議だよねと言い合ってその会話は終わった。夜の川も暗い中にある光も、尾の生えた星ももうひとつのあの夜に続いていて、消えない。金を払って物を買ったり、無駄に謝ったり、多くの手続きをしながら社会に存在しているのに、あの夜だけがそのままある。堤防もブロック塀も学校も、育った家すら海に流されたというのに。名前は覚えているのに、漢字までは思い出せない。何を話したのかも。よくいる目の前の若者が教えてくれるわけではないけれど、触れあったりしていると目の奥が苦しくなってきて、なにか思い出せそうな気がしてくる。あ、あの子の飼っていた老犬がこわかったんだっけな。橋を渡る帰り道、夜の道を歩く彼の目を見て思い出す。

 

 

 

 

◎対話というのは、目の前の相手の存在を認めて、その全体からニーズを見つけるものだそうです。人を説得しようとするのは、対話ではないそうです。

 

書くことの作法をなにも知らない

今日から何かを書くことに決めた。

 

文章の作り方も、作法もなにも知らない。

ただ、

○身の回りにあったこと

●なんとなく考えたつくりものの話

◎人や本などから見聞きして心に残ったこと

を記録していこうと思う。

 

 

 

 

今日はお昼にお新香とご飯とお味噌汁の軽い食事をした。あ、このくらい軽くていいんだな、と小さな発見。

 

 

夜、地下鉄で3本先の駅へ。知り合って10年ほどになる教員の友人と会う。仮暮らしだというワンルームの軽やかなマンション。椅子や照明が北欧のものだという。しっかりすり減っていた。それがいい。実家でもそのA社の家具をよく使っているらしい。幼稚園で実際に使われていたという小さな木製の椅子。その上に銀色の小さな皿。その上に女性もののアクセサリーが置かれていた。隣に一人分の布団。その隣には二つに畳まれたもう一人分の布団。生活感はあるがとても清潔。これから生まれてくる新しい人のための育児雑誌。ドアの物掛けには病院から支給されたであろう不織布のトートバッグ。赤い天板の机にコーヒーと水とプリンを置いてコンビニエンスストアの袋をがさつに丸めて持ってきた荷物に詰める。もう10月だというのに蒸し暑さの残る夜で、デニムがなかなか脱げない。引っ張ってもらう。小柄だがしっかりと力があり、視力が悪いという眼鏡の奥の目もいつも落ち着いた人だ。今でこそ年相応だと思うが、高校生の頃から彼はこんな風に振る舞う人だった。進学校に通っていた頃からどう考えても大人びた趣味(音楽や料理や関心をもったあらゆること)を持ち、家族の話を、柔らかい笑顔で誇らしげにするところに好感を抱かずにはいられなかった。育ちの良さがほんの少し背伸びした口調をも包み、感じ良く見せていた。好感といっても、もちろんそれは友人としてで、今もそれは変わらない。体の結びつきがあるから恋かというとそうでもない。お互いに話したいことを話し、褒め合ったりもする。お互いを自分のものだなんて思わない関係はとても潔く軽やかだと思う。次の子どもができたら、ある翻訳家と同じ字の名前をつけようと思う、という話などを暗がりの中でしたような気がする。眠いのかあまり呂律が回らないようすで話をした。ボトルの水を飲んでから外に出ると霧が出ていたが、空気が先ほどより冷えていて目が冴えた。お互いに片手をあげて、それじゃあと笑った。地下鉄の構内はとても静かで、古いけれど清潔で、夜なのに怖くなかった。10年前に会って、それから10年会わなかった。お互い家族がいて、仕事があって、胸のなかに大切なものがあって。大きな天災もあった。だけど後ろめたさも意味もなく、明るい気持ちで人と会う。この仕事してると夜起きてられなくてね、わかるわかる、なんて軽い口調で。地下鉄に乗り込むとき、スマートフォンで短い文を送る。どの口が言うかと言われそうだが、本当にそう思うのだ。祈るような気持ちで、彼の大切な人の体を思う夜。