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『きょうりゅうがすわっていた』という絵本を読んだ

実母が自転車を買ったらしく、乗るときと降りるときが怖いというメールがきた。そういうところはかわいいと思う。

 

 

 

 

 

「全壊じゃなくて、流出ですね。大変でした(笑)」そんな風に彼は笑いながら流された自分の家の話をしたのだった。海辺の町から小一時間。安定した人気の大学へ通う彼は3人兄妹の長男坊だという。まだたったの22歳なのだった。集まりがあれば必ず幹事を任された。早々に就活も終え、毎日の実験でも、趣味のサークルも、夜にしているバイト先でも、彼を愛さない人はいないくらいだった。あまりに感じがよく、しかもそれがとても自然で、誰かのためというよりは赤ん坊のころからそうなんですという印象だった。威勢のよい人間が多い田舎の町では、彼の柔らかさはより輝く。少しでも関わったことのある女の子たちはみな勘違いをした。自分は特別。大切にされてしかるべき女の子。ちょっとした縁で酒席を共にした一人の女の子は、どうにでもなればいいのにと思った。自分に恋人がいることも、明日の講義も友人からの短いメッセージもどうでもいい。それより、今すぐに目の前の清潔なさとうくんに触れたいと思った。どんなにさとうくんが真面目な子でも、隙だらけの女の子がいたら帰すわけはない。だってまだたったの22歳で、ここは自分から触れなければ女の子が傷つくのがわかっているから、そりゃもう真摯に、彼の夜の課題に取り組んだ。彼はまず、まぶたにキスをしたそうだ。そのときの話をなぜか私が聞いていて、「そういえばご実家どこだっけ?あ、そうか。じゃあ大変だったでしょう。」そして流出の話になったのだった。津波というものの怖さは説明なんていらないくらいだ。それにあった場所、時間、近道を知っていた人、運、せっかくだから食料品を買ってから逃げようとした人、知人を送り届けたあとに逃げ遅れた人、そのあとに続く数分間、それから今に至るまでの5年の歳月。慟哭、静かな時間、なにも考えられない時間。身近な人を憎んだり、呪ったり。なにひとつ忘れられず、でも毎日が手続きの連続で、「いろいろ大変だったけど、私たちは前向きに暮らしています。」そういう顔をして表向きは暮らさなければならなかった。

さとうくんの話に戻る。さとうくんにはじめて会ったのは新しくできた図書館だ。とてもきれいだが量産型でつまらない。そんな図書館だった。運営するC社と自治体の長との癒着や、資料の扱いを問題視する声も少なくない。町おこしと言えば聞こえは良いが、町の歴史を保存するアーカイブとしての機能より、わかりやすい華やかさをこの国のいくつかの町は選んだのだ。そんなことを考えながら、退屈ながらも少し歩き回ったのち、併設されているシアトル系コーヒー店で休もうとした。ひとり掛けのブースで読書する女性、ダイニングテーブルのような木製の机で仕事をする男性、布貼りの椅子に向かい合い、会話を楽しむ若い男女。賑やかな雰囲気と、明るさに少しだけ居心地の悪さを感じて、なるべく隅の席を確保した。ハンカチと財布だけを持って、温かいブラックティーにしようと注文をとる店員に話しかける。聞くとラベンダーの香りやらローズヒップやらお茶だけでも数種類あるようで、我ながら短気だと思うが少し苛立った。普通の大きさの、普通の紅茶はないのだろうか。自分のこういうところがさみしいと思う。たくさんはいらない。食べ物に対してもそうで、一度口に合うと思うとそればかりを食べ続けたりする。友人もそうかもしれない。たくさんはいらない。君さえわかっていればいい。そう思える人と付き合いたいし、わかってもらえなくても平気なくらい歳をとったのかもしれない。結局のところ自分だけが自分を楽しませることができる。外側からの刺激で傷つこうと、見えない悪事をはたらこうと、それを誰も見ていてはくれない。いつも自分だけが見ていること。隅の席から周りに目をやると黒の細身のパンツとダンガリーシャツの若者が入ってくるのが見えた。あらゆる生物の中で、人間だけが持っているとされる能力がある。それは、他者の目にうつる自らの姿を想像することだ。胸の中でどんなことを考えようと、社会的な動物であることにはかわりない。一人で熱いお茶(結局スパイス入りの甘いものにした。)を飲みながら、その若い人を眺めていた。見ていないようにして、そっと。紙カップを受け取り席を探す彼と目が合いそうになったので、あえて目をそらさずに彼の後ろにある窓の外を見たままでいた。自意識過剰だとは思うが、"私は決してあなたを見てはいませんよ。天気がいいから外を見ているのです。外の親子連れを見ているとなんだか平和そのもので心が和みますね。"と、そこまで顔で語ったつもりでお茶を飲んだ。近くまで来ると、黒いふちの眼鏡の奥に滑らかな肌が見える。やはり若いのだろう。椅子ひとつだけ空けて隣に腰掛ける。また、視線と気配を消した塊になる。熱いお茶がおいしい。近所の紀伊國屋で買った現代短歌の本を捲る。「あー、」と隣から聞こえてきたので、そっと目をやる。「それは、あれですよね、あ、いきなりすびばせん、短歌の、若い人のやつを集めた、やつ、ですよね、ですか?違うかな、ほむらさん以降ってやつ、」「あ、はあ。はい、それです。それですよ。」鼻がつまっているのだろうが、話し方がかわいい。読んでいる本に気付かれたことにも正直驚いたけれど、図書館を利用する人なのだからなにも不思議なことはない。努めて笑顔をつくった。気配を消していたけれど、初めて会った人と話すのは嫌いじゃない。「あなたは?あなたは何を読まれてるんですか?」自分の声の温度が少し上がったのがわかった。私はいい歳をして、嬉しかったのだ。そのあとは何人かの作家のことを話したりしただろうか。「風邪ですか?」「アレルギー体質で、鼻、よわくて、」仕草や言葉づかいですぐに好感をもたれる男の子だと思った。明るいのに、折り目正しい。話したあとに余韻を残すような話し方も、話し終えたあとに目を合わせて確認するようなところも、不思議と媚を感じない。魅力的だと思った。そのあとは、本当に安い展開だった。いい歳をして、本の話をするのを装ってトークアプリのID を聞き出し、数回お茶をした。音楽の好みも不思議と合った。「わたし岡村ちゃん歌うよー」なんて無邪気なふりをして行ったカラオケ。その会計の時に伝票を奪うふりをしてわざとらしく手首を掴まれた。目の奥は笑っていないのに口元がかわいい。ああ、そういうことでよろしいんですね。箍が外れたのかもしれない。場所を変え、ただの一対の動物になって、恋でも友情でもないことをしている。同じことをしていても遊びという言葉は使えないタイプの二人だろうから、これはなんだろう。状況を見つめるまなざしが二人分。といったところだろうか。震災の話も「えへへ、あのね、」とかわいく笑いながらする彼だった。あの日、高校からの帰り道、友人とともに友人の母が運転する軽自動車で自分だけが避難先まで送り届けてもらったこと。そのあと自宅へ戻った二人は津波にあってしまったこと。身の上話をする顔ではなかった。相変わらず、「鼻、よわくてー、」の余韻を残す顔だった。人がいなくなったという話なのに、似たような話をたくさん聞いてしまったから私自身鈍感になっていた。目の前の人に自分がどのようにうつるか、そればかり考えて、会話をした。"わかっているよ。悲しいことも全部。大変だったよね。でもどうしようもないことって世の中にはたくさんあるんだよね。でも悲しいよね。"ずっと黙ったまま、ここまでを眉だけを下げた笑顔で語り、パイン飴をあげた。小さな袋を長い指でちぎって、かわいい口の中へ押し込む彼の顔を見て、つい口の端が下がる。〈ーー津波時浸水位ここまでーー〉の標識が真っ青で、陽の光が反射している。震える口元に、笑えなくなる。また心の中だけで語る。"食事も摂れるようになって、今は落ち着いた新しい家で寝起きしている君を、私は好きでも嫌いでもない。(少し好きかも)でもね、わかることがいくつかあるんだよ、さとうくん。みんな、あなたのことを、「君さえわかってくれたらいい」と思って、それを口に出すことすら※いだましくて、暮らしているよ。あなたが今日も朗らかに笑っているのを祈る人間が、あそこにもたくさんいるよ。それだけは、本当なんだよ。"これはいつもの顔のまま。服を脱いで、なるべくきれいに小さく畳んだ。遠いみ空のひとたちに見られても恥ずかしくないようにだ。

 

 

※いだましい(もったいような、さみしいような気持ちの時に使う)