ミルクコーヒー、くず湯、清潔なタオルケット

うわーん。財団職員の採用試験に落ちた。でも過ぎたことは仕方がないから、前向きにやっていくことがとても大切。でも少しだけその職場で働く自分を想像してしまったので、切ない気持ちがないとは言えない。

 

終点のひとつ前の駅で降り階段を下ると、私の少し前にあたりを見回す背中が見えた。例年より遅く秋の空気を感じる冷えた夜だった。この背中は私を探している。誰かに待っていてもらえること、見つけてもらえることってこんなに嬉しいものだったのかな。それでも、見つかるまでの数十秒がとても照れくさく我慢が出来なかった。袖の中に冷えた手を隠し、背中をそっと突く。突く、というよりマッチで灯りを点けるように速度を緩めて触れた。火が消えないようにそーっとそーっと。「へへっ、お疲れさまです。」「おっ、こんばんは。」「ちょっと冷えるねえ」「まく?これー」首に巻いた厚みのある布を指差す。首にも巻けるが、広げるとかなりの大きさがあり、ストールとして使える。腕を通して羽織ることもできるというものだった。これは女性ものだったはず、と思い出したが、他の誰かへの特別な感情ではない。普段からクローゼットにたくさんの服を並べて、きちんと手入れをし、いい香りをさせている彼らしいなと思ったのだった。夏に会ったときはレペットを穿き、凝ったデザインのシャツを着ていた。細身だが肩幅のある身体に、とてもよく似合っていた。静かな夜の道を並んで歩く人に巻物を借りる、巻く、という一連の動作があまりにもありきたりで恥ずかしいのだった。友人なのだし、そんなやりかたで大切にされなくとも良いのだった。ただの自意識過剰なのだが。考えすぎるこんな夜には、自分からそっと離れてひとつのまなざしになることがある。歩く二人の頭を上の方からそっと眺めて、夜の空気に溶ける。「どうみても恋人同士だろ」「これからマンションでなにする気だ」私の天使は下世話で、繊細で、とてもうるさい。ただのナイーブな若者だと思っていたのに、本当はそれより少し複雑だった。心身のバランスを崩し、休職していること、実家の両親との穏やかで、難しい関係。よくあることとして名前をつけて束ねてしまえば、簡単なのかも知れない。それが出来なくて、困り果てたまま歳をとったからここにいるのだ。学生時代から、いつも保健室の先生のような立ち位置から抜け出せなかった。若者らしい心のぶつかり合い、その仲裁。堂々巡りの恋愛ばなし、その中継ぎ。熱い友情からも甘酸っぱい恋愛からも一歩離れて、いつも当事者ではなかった。まるで達観しているような顔で、友人の話を聞かなければならなかった。人の話を聞くのは好き。歳上の恋人のおかげで、経験もまあ、それなり。わからないことや理解できないことは唯一の趣味といってもいい読書に助けてもらった。決して、居心地は悪くなかった。でも、やはりただのまなざしになっている自分に気づくのだった。そのことがさみしいというよりは、別の誰かもまた、私をまなざしてくれてはいないかなぁ、というひどく甘く恥ずかしい憧れだった。もう存在することが恥ずかしい。それなのに今日も他人のために邁進する。単身者向けのマンションはいつも整然としている。小さな部屋なのにきちんと植物があって、急須で淹れた温かいお茶が出てくる。買ってきた食べ物も、ひとつひとつ凝った皿にサーブされる。絶対この人営業向いてないよなー。と心の中でつぶやく。夜の中にまた夜がきた、と感じる静かな時間がある。窓の外には川がある。遠くの灯りが裸眼の目にはぼやけて映る。シャワーを借りて清潔になった体を横にしてぼんやりしていると、彼が出てきてあれこれ片づける小さな音がする。とても眠い。いい歳をしてそれなりに緊張することもあるのだが、今日は緊張とも違っていた。疲れた体が水を吸ったスポンジのように重く、寝具のいい香りを嗅いでいたら包まれていくようだった。隣に人がいてもそれは変わらなかった。睡魔には勝てない。「お疲れさま」と言って彼も眠ってしまうようだった。このような形で眠るのははじめてではなかったし、華奢なのにちゃんと男の人の力で抱くのだなぁ、ふーん。という夜もあった。でも今日はこのままで良かった。気づくと、掛け布団の上から一定のリズムで背中をとんとんとんとしている手があった。「あ、あは、どーもスミマセン」と往年の落語家のように呂律の回らない声をかけた。「いいよーおやすみ」私は間抜けだけど、ここは居心地が良い。こういう異性の友人がいるのって幸せだと思った。そしていい香りの夜にも覚えがあった。幼い頃の母が夜勤の日。いつもは大嫌いな祖母が一緒に寝てくれる和室は、白粉とお風呂のとてもいい匂いがしたこと。古びた真四角の傘の中にある蛍光灯、その中心にあるオレンジ色の常夜灯を見つめるとほっとしてよく眠れたこと。祖父が宿題を見てくれて、いつも「おめえは頭がいい」とただただほめてくれたこと。いつもは大嫌いな祖母が、鯖を食べるときに「鯖の骨は太いから気をつけらいよー」と必ず言っていたこと。言わない日はないのだった。どんなにひどい喧嘩をしても、どんなに忙しくしていても必ずそれを私に言うのだ。私が大人ぶって話を聞いていたあの頃の少女たちは。それぞれの胸に答えも意思もちゃんとあって、私の役割のように話してくれていたのかも知れない。本当に不器用で幼いのは私で、それをみんなちゃんと知っていてくれた。不思議と恥ずかしさはなく、なーんだ、ちゃんと見てくれてくれてる人いたんだ、と図々しい天使が言う。鯖の骨には今も気をつけています。

 

◎同じ町のとあるバンド(kika )をとても好きになった。子どもが夢中でシール集めをするような切実さで、好きだ。